あなたは「剣の舞の現代語訳がわかりにくい」と思ったことはありませんか?結論、剣の舞は鴻門之会における緊迫した暗殺未遂の場面です。この記事を読むことで原文・書き下し文・現代語訳から登場人物の心情まで完全に理解できるようになりますよ。ぜひ最後まで読んでください。
1.剣の舞とは?鴻門之会における名場面の概要

剣の舞が登場する「鴻門之会」のあらすじ
剣の舞は、司馬遷の『史記』に記される「鴻門之会」の最も緊迫した場面です。
紀元前206年、秦の都・咸陽をめぐって項羽と劉邦が対立していました。項羽の兵力は40万、劉邦の兵力はわずか10万でした。しかし劉邦が先に咸陽に入城したことで、項羽は激怒します。
劉邦の部下である曹無傷が「沛公は関中の地で王になろうとしている」と項羽に告げ口をしたため、項羽は劉邦の軍を攻撃しようとしました。
この危機を知った劉邦は、翌朝百余騎を引き連れて項羽のもとへ謝罪に向かいます。
項羽は劉邦の謝罪を受け入れ、その日のうちに酒宴を開きました。これが「鴻門之会」です。
史記における剣の舞の歴史的背景
鴻門之会が開かれた紀元前206年は、中国史の転換点でした。
秦の始皇帝が天下を統一しましたが、その圧政に人々は苦しみ、紀元前209年に陳勝・呉広の乱が起こります。
秦を倒そうとする多くの将の中で、次第に劉邦(沛公)と項羽の二人が力をつけてきました。
懐王は「先に関中に入った者を関中の王とする」と諸将に約束していました。
この約束があったからこそ、項羽は劉邦が先に咸陽に入ったことに強い怒りを感じたのです。
剣の舞の場面は、この歴史的緊張関係の中で起こった、劉邦暗殺未遂事件なのです。
登場人物の相関図と役割
鴻門之会には重要な人物が多数登場します。
項羽陣営
- 項羽(項王):楚の最高司令官で西楚の覇王
- 范増(亜父):項羽の軍師で最長老
- 項荘:項羽の従弟で剣舞の実行者
- 項伯:項羽の叔父だが張良に恩義がある
劉邦陣営
- 劉邦(沛公):後の漢の初代皇帝
- 張良:劉邦の参謀で項伯の恩人
- 樊噲:劉邦の義兄弟で勇敢な戦士
- 曹無傷:劉邦を裏切り項羽に告げ口した部下
この複雑な人間関係が、剣の舞という緊迫した場面を生み出しました。
特に項伯が敵である劉邦側を守るという構図が、この物語を歴史に残る名場面にしているのです。
2.剣の舞の原文・書き下し文と現代語訳

原文(白文)の全文掲載
項王即日因留沛公、与飲。
項王・項伯東嚮坐、亜父南嚮坐。
亜父者范増也。
沛公北嚮坐、張良西嚮侍。
范増数目項王、挙所佩玉玦、以示之者三。
項王黙然不応。
范増起、出召項荘、謂曰、
「君王為人不忍。
若入前為寿。
寿畢、請以剣舞、因撃沛公於坐殺之。
不者、若属皆且為所虜。」
荘則入為寿。
寿畢曰、
「君王与沛公飲。
軍中無以為楽。
請以剣舞。」
項王曰、「諾。」
項荘抜剣起舞。
項伯亦抜剣起舞、常以身翼蔽沛公。
荘不得撃。
この原文は『史記』項羽本紀の一部で、剣の舞の場面を記したものです。
読み仮名付き書き下し文
項王(こうおう)即日(そくじつ)因(よ)りて沛公(はいこう)を留(とど)めて与(とも)に飲(いん)す。
項王・項伯(こうはく)は東嚮(とうきょう)して坐(ざ)し、亜父(あほ)は南嚮(なんきょう)して坐す。
亜父とは范増(はんぞう)なり。
沛公は北嚮(ほっきょう)して坐し、張良(ちょうりょう)は西嚮(せいきょう)して侍(じ)す。
范増数(しばしば)項王に目(もく)し、佩(お)ぶる所の玉玦(ぎょくけつ)を挙(あ)げて、以(もっ)てこれに示す者(もの)三(み)たびす。
項王黙然(もくぜん)として応(おう)ぜず。
范増起(た)ち、出(い)でて項荘(こうそう)を召(め)し、謂(い)ひて曰(いわ)く、
「君王(くんおう)人(ひと)と為(な)り忍(しの)びず。
若(なんじ)入(い)り前(すす)みて寿(じゅ)を為(な)せ。
寿畢(お)はらば、剣(けん)を以(もっ)て舞(ま)はんことを請(こ)ひ、因(よ)りて沛公を坐(ざ)に撃(う)ちて之(これ)を殺(ころ)せ。
不(しか)らずんば、若(なんじ)が属(ぞく)皆(みな)且(まさ)に虜(とりこ)とする所と為(な)らんとす。」と。
荘則(すなわ)ち入りて寿を為す。
寿畢はりて曰く、
「君王沛公と飲す。
軍中に以(もっ)て楽(がく)を為(な)す無(な)し。
請(こ)ふ剣を以て舞はん。」と。
項王曰く、「諾(だく)。」と。
項荘剣を抜(ぬ)きて起(た)ちて舞ふ。
項伯も亦(また)剣を抜きて起ちて舞ひ、常(つね)に身(み)を以(もっ)て沛公を翼蔽(よくへい)す。
荘撃つを得(え)ず。
わかりやすい現代語訳(全文)
項王はその日のうちに沛公を引き留めて、一緒に酒を酌み交わした。
項王と項伯は東を向いて座り、亜父は南を向いて座った。
亜父とは范増のことである。
沛公は北を向いて座り、張良は西を向いて沛公のそばに控えて座った。
范増は何度も項王に目配せをし、身に付けている玉の飾りを持ち上げて、沛公を殺すよう項王に示すこと三度に及んだ。
しかし項王は黙ったまま応じなかった。
范増は立ち上がって外に出て、項荘を呼び寄せてこう言った。
「君王は人柄が優しく、残忍なことができない性格だ。
お前が宴席に入って前に進み、長寿の祝いをしろ。
祝いが終わったら、剣で舞うことを願い出て、その機会に沛公を宴席で斬り殺してしまえ。
そうしなければ、お前たちの一族は皆、今にも沛公の捕虜となってしまうだろう。」
項荘はすぐに宴席に入って長寿の祝いをした。
祝いが終わって言った。
「君王は沛公と酒宴を開いていらっしゃいますが、軍中には音楽を演奏する手段がありません。
どうか私に剣舞をさせてください。」
項王は「よろしい」と言った。
項荘は剣を抜いて立ち上がり舞い始めた。
項伯もまた剣を抜いて立ち上がり舞い、常に自分の体で親鳥が雛を翼でかばうように沛公を守った。
項荘は沛公を斬ることができなかった。
段落ごとの詳細な現代語訳と解説
酒宴の席次について
項王と項伯が東を向いて座ったのは、西側の上座に座ったということです。
范増が南を向いて座ったのは、北側の最上座です。「天子南面す」という言葉があり、王になる人は南を向いて座るとされていました。
沛公が北を向いて座ったのは、南側の下座です。これは臣下の席を意味します。
項王は本来ゲストである沛公を東嚮の席に座らせるべきでしたが、あえて下座に座らせることで自分の優位を示したのです。
張良が西を向いて「侍す」とあるのは、酒宴の参加者ではなく、沛公の部下として横に控えているだけだからです。
范増の目配せの意図
范増は項王に何度も目配せをし、身に付けている玉玦を示しました。
玉玦は「決断を促す」という意味を持つ飾りです。范増は今すぐ沛公を殺すべきだと項王に訴えていたのです。
しかし項王は「黙然不応」、つまり黙ったまま何も答えませんでした。
これは項王の優柔不断さと、義を重んじる性格を表しています。
項荘への指示
范増は業を煮やして外に出て、項荘に直接指示を出します。
「君王為人不忍」は「君王は人柄が優しく残忍なことができない」という意味で、項王の性格的弱点を指摘しています。
「寿を為す」は長寿を祝う献杯のことで、これを口実に宴席に入れと指示しました。
「因りて」は「その機会に乗じて」という意味で、剣舞にかこつけて沛公を殺せという暗殺計画です。
「若属皆且為所虜」の「且」は「まさに〜せんとす」で「今にも〜しようとする」という切迫感を表します。
項荘の剣舞
項荘は范増の指示通り、まず長寿の祝いをしてから剣舞を願い出ました。
「軍中無以為楽」は「軍中では音楽を演奏する手段がない」という意味で、もっともらしい口実です。
項王は「諾」と承諾しました。これは項王が項荘の真の意図を知っていながら黙認したとも解釈できます。
項伯の妨害
項荘が剣を抜いて舞い始めると、項伯もまた剣を抜いて舞いました。
「常以身翼蔽沛公」は「常に自分の体で親鳥が雛を翼でかばうように沛公を守った」という意味です。
項伯は過去に張良に命を救われた恩義があり、その恩返しとして敵である劉邦を守ったのです。
結果として「荘不得撃」、項荘は沛公を斬ることができませんでした。
3.剣の舞の重要語句と文法解説

重要単語・語句の意味と用法
因りて(よりて)
「因」は「その機会に乗じて」「それによって」という意味です。
剣の舞では二か所で使われています。
「項王即日因留沛公」は「項王はその日のうちに(沛公が来た機会に乗じて)沛公を引き留めた」という意味です。
「因撃沛公於坐殺之」は「(剣舞の)機会に乗じて沛公を宴席で斬り殺せ」という意味です。
数(しばしば)
「しばしば」「何度も」という頻度を表す副詞です。
「范増数目項王」は「范増は何度も項王に目配せをした」となります。
范増の焦りと執拗さが伝わってきます。
目(もく)
動詞として使われる場合、「目で合図をする」「目配せをする」という意味になります。
名詞の「目(め)」とは読み方も意味も異なるので注意が必要です。
玉玦(ぎょくけつ)
古代中国で身分の高い人が腰につけた玉の飾りです。
「玦」は「決断」に通じ、決断を促すという象徴的意味を持ちます。
翼蔽(よくへい)
「翼」は鳥の翼、「蔽」は覆い隠すという意味です。
親鳥が雛を翼でかばうように守るという比喩的表現です。
押さえておくべき漢文句法
使役の句法
「令AB」で「AをしてBしむ」=「AにBさせる」
例:「令将軍与臣有郤」=「将軍をして臣と仲たがい有らしむ」=「将軍に私と仲たがいさせる」
願望の句法
「請ふ〜(せ)ん」で「どうか私に〜させてください」
例:「請以剣舞」=「請ふ剣を以て舞はん」=「どうか私に剣舞をさせてください」
不可能の句法
「不得〜」で「〜を得ず」=「〜できない」
例:「荘不得撃」=「荘撃つを得ず」=「項荘は(沛公を)斬ることができなかった」
仮定の句法
「不者」=「不然」で「しからずんば」=「そうしなければ」
例:「不者、若属皆且為所虜」=「そうしなければ、お前たちは皆捕虜となってしまうだろう」
推量の句法
「且〜(せ)んとす」で「今にも〜しようとする」「まさに〜しようとする」
切迫した状況を表します。
再読文字と返り点のポイント
「以」の用法
再読文字ではありませんが、漢文で最も重要な文字の一つです。
手段・方法を表す場合:「〜で」「〜を用いて」
例:「以身翼蔽沛公」=「身を以て沛公を翼蔽す」
理由・原因を表す場合:「〜のため」「〜によって」
目的語を示す場合:「以て〜を為す」
「為」の用法
「為」は多様な意味を持ちます。
「〜となる」:「為所虜」=「虜とする所と為る」
「〜をする」「〜を行う」:「為寿」=「寿を為す」
「〜のために」:「為人不忍」=「人と為り忍びず」
返り点の基本
上中下点:「挙所佩玉玦」の「所佩」は「佩ぶる所の」と読みます。
レ点:「項王即日因留沛公与飲」は「項王即日因りて沛公を留めて与に飲す」
一二点:「以示之者三」は「以て之に示す者三たびす」
定期テスト頻出の文法事項
「者」の用法
主語を強調:「亜父者范増也」=「亜父とは范増なり」
文末で回数を表す:「示之者三」=「これに示す者三たびす」=「これを三度示した」
「於」の用法
場所を示す:「於坐」=「坐に於いて」=「宴席で」
比較を示す場合もありますが、剣の舞では場所を示す用法のみです。
「所」の構造
「所〜」で「〜するところのもの」という名詞句を作ります。
「所佩玉玦」=「佩ぶる所の玉玦」=「身に付けている玉玦」
「為所虜」=「虜とする所と為る」=「捕虜にされる」(受身)
「而」の用法
剣の舞では「立而飲之」のように、動作の順序を示す接続詞として使われます。
「〜して、そして」と訳します。
敬語表現
「項王曰」「范増謂曰」など、「曰く」は発言を導く表現です。
「侍」は「控える」という謙譲語で、張良が沛公のそばに控えていることを示します。
4.剣の舞に込められた人物の心情と意図

范増の沛公暗殺計画の真意
范増は項羽の最も信頼する軍師であり、亜父(父に次いで尊敬する人)と呼ばれていました。
范増が沛公の暗殺を強く主張した理由は、劉邦の将来的な脅威を見抜いていたからです。
「若属皆且為所虜」という言葉には、范増の危機感が如実に表れています。
范増は劉邦を生かしておけば、いずれ項羽は天下を奪われると予見していました。
実際、この予言は的中し、後に劉邦は項羽を破って漢の初代皇帝となります。
范増の暗殺計画は、冷静な戦略的判断に基づくものでした。
しかし項王が応じないため、范増は項荘に直接指示を出すという強硬手段に出たのです。
「君王為人不忍」という言葉には、范増の項羽に対するもどかしさと諦めが込められています。
項荘の剣舞に隠された目的
項荘は項羽の従弟であり、范増の指示を忠実に実行しようとした人物です。
項荘の剣舞は、表向きは酒宴を盛り上げるための余興でした。
しかし真の目的は、舞いながら沛公に近づき、その隙に斬り殺すことでした。
「軍中無以為楽」という口実は、非常にもっともらしいものでした。
軍中では音楽を演奏する楽器がないため、剣舞で場を盛り上げようという提案は自然に聞こえます。
項王も「諾」と承諾したことから、項荘の演技は成功していたと言えます。
しかし項荘の真の意図は、張良に見抜かれていました。
張良は後に樊噲に「今者項荘抜剣舞、其意常在沛公也」(今、項荘が剣を抜いて舞っている。その狙いは常に沛公にある)と伝えています。
項荘にとって、この暗殺計画の失敗は、范増の予言通り項羽一族が滅びる原因の一つとなりました。
項伯が沛公を守った理由
項伯は項羽の叔父でありながら、敵である劉邦を守るという矛盾した行動をとりました。
その理由は、過去に張良に命を救われた恩義があったからです。
項伯はかつて殺人を犯して逃亡していた際、張良に匿ってもらったことがありました。
鴻門之会の前夜、項伯は項羽が劉邦を攻撃しようとしていることを知り、恩人の張良を助けるために密かに劉邦の陣営を訪れました。
張良はこれを劉邦に伝え、劉邦は項伯と会って姻戚関係を結ぶことを約束しました。
項伯は劉邦の誠意に打たれ、項羽に劉邦の弁明を伝えることを約束します。
剣の舞の場面で項伯が剣を抜いて舞ったのは、項荘の真の意図を察知したからです。
「常以身翼蔽沛公」という表現は、項伯の必死の防御を物語っています。
項伯は自分の体を盾にして、項荘の剣が沛公に届かないようにしたのです。
項伯のこの行動は、個人的な恩義を国家や一族の利益より優先したものでした。
後世の評価は分かれますが、項伯は義理を重んじる人物として描かれています。
項羽の優柔不断な性格が招いた結末
項羽は「黙然不応」という態度で、范増の目配せに応じませんでした。
これは項羽の性格を象徴する場面です。
范増は「君王為人不忍」と評しています。これは「君王は人柄が優しく残忍なことができない」という意味です。
項羽は武勇に優れ、戦場では無敵の強さを誇りましたが、政治的な決断力に欠けていました。
項羽が沛公の暗殺を躊躇した理由はいくつか考えられます。
第一に、劉邦が謝罪に来たことで、項羽の怒りは既に和らいでいました。
第二に、項羽は義を重んじる性格で、謝罪に来た相手を宴席で殺すことは卑怯だと考えたのです。
第三に、項羽には劉邦の将来的な脅威が見えていませんでした。
しかし項荘の剣舞を「諾」と承諾したことは、項羽も内心では范増の意見を理解していたことを示しています。
項羽は自分の手を汚さず、部下がやったことにしようとしたのかもしれません。
この優柔不断さが、最終的に項羽の敗北につながりました。
范増は後に「豎子不足与謀。奪項王天下者必沛公也。吾属今為之虜矣」(小僧とは謀ることができない。項王の天下を奪う者は必ず沛公だろう。我々は今にも彼の捕虜となってしまうだろう)と嘆きました。
この予言は的中し、項羽は最終的に劉邦に敗れ、自害することになります。
項羽の悲劇は、武勇に優れながらも政治的判断力に欠けていたことにあります。
一方で、この人間臭さこそが、項羽という人物を魅力的にしているとも言えるでしょう。
まとめ
剣の舞について、重要なポイントをまとめます。
- 剣の舞は史記「鴻門之会」の最も緊迫した場面で、項荘による劉邦暗殺未遂事件である
- 紀元前206年、項羽40万対劉邦10万という圧倒的戦力差の中で起こった歴史的事件
- 范増が項羽に目配せで暗殺を促したが項羽は応じず、范増は項荘に直接指示を出した
- 項荘は「剣舞」という口実で劉邦に近づき暗殺しようとしたが、項伯が身を挺して劉邦を守った
- 原文・書き下し文・現代語訳を正確に理解することで、登場人物の心情が深く読み取れる
- 「因りて」「数」「目」「請ふ」「不得」などの重要語句は定期テストでも頻出
- 使役・願望・不可能・仮定などの句法を押さえることが文法理解の鍵
- 范増は劉邦の将来的脅威を見抜き、冷静な戦略判断で暗殺を主張した
- 項羽の優柔不断さと義を重んじる性格が、結果的に自身の敗北を招いた
- 項伯が恩義を優先して敵を守るという構図が、この物語を歴史に残る名場面にした
剣の舞は単なる暗殺未遂事件ではなく、人間の義理・恩・判断力・性格が複雑に絡み合った、歴史的に重要な場面です。
この場面を深く理解することで、古典漢文の面白さと人間ドラマの奥深さを味わうことができます。
定期テストや受験対策だけでなく、人間理解のためにも、ぜひ何度も読み返してみてください。
関連サイト
中国哲学書電子化計劃(史記原文):https://ctext.org/shiji